クレームから見た個々の認識について♪
こんにちは!こんばんは!いつも元気なSHIROです♪
ここ数年の研究テーマは「人の認識はなぜ異なるのか?」。
ヒトは疎通を図るために言葉を得ました。
そして、その言葉を巧みに操り他者と疎通を図ります。
では、1人の政治家が集団の前で演説をします。それを聞いている100名が同じ認識を得られるのか?大半の方が同じ認識を得られると思います。ただ、異なる認識を得る人も数名、いや数十名いても不思議ではありません。
様々な要因が考えられます。学歴や生活環境、まわりくどい表現など、数えあげればキリがないと思います。
これらの要因をある程度排除するため、インプットを極力簡易なものとし、人の認識がどう変わるのかを調査してみたいと考えています。
精神医学では、過去の研究において精神障害発症のリスクがある方は行動パターンが異なるという研究がありました。
例えば、A、B、Cの物品を異なる順番で取ってきてくださいという指示を与えると、多くの被検者は最も効率的な動きを示します。しかし、数名は非効率的な動き(ここでは、遠いところから近いところへ何度も往復するといった動き)を示し、その被検者たちには精神疾患の家族歴がみられたり、過去に罹患していたという研究内容でした。
なぜ、このように疑問を持つようになったかと言うと、訪問でのリハビリテーションを行っていると様々な利用者さんがおられます。利用者さんの多くは私たちよりも人生経験豊富な方々です。人生の先輩方はとても優しい表現をしてくださる方が沢山おられます。その発言の意図を汲み取れないと私たちは成長のきっかけを失うことになってしまいます。さらに言うと本当の意味で利用者さんの目標設定を見誤ったり、セラピスト本位のアプローチに徹してしまうことになってしまいます。
実は、クレームに近い言葉を聞く機会が多くあります。その言葉を言わせてしまう原因のほどんどが、言葉の真意を掴めないことだと感じています。
もちろん、様々な要因が重なっています。利用者さんの希望に沿うことばかりを考えているとかえって悪化させてしまう場合も少なくありません。
サービスを受ける側とサービスを提供する側。本来は同じ気持ちで繋がっていると思います。私たち医療の世界で例えると「治して(良くして)欲しい。」という享受側と「良くなって(治って)欲しい。」という提供側。
今回は何が言いたいのか、迷子になってしまいました。
それはきっと僕の思考が迷子になっているのでしょうね。
これからもしっかりと考えていきたいと思います。要は”人は立場が変わると意見が変わる”これが重要なポイントになっていると思います。
最後まで読んで頂いた方、お付き合いありがとうございました。
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