あっふぉー!ダンス♪ 結局何が言いたいのかと申しますと。
ちゃーす♪
いきなりステーキ…いきなりですが、皆さんアフォード(afford)されていますか?
いやぁ認知症の方と関わっていて、「ベッドに腰掛けましょう」と声掛けしたら、突然お休みモードに入られましたSHIROです。←皆さんはこんな経験ありませんか?
これは、口頭指示の入力よりも、ベッドは寝るためのものという知覚がそうさせてしまった結果だと思います。
転倒関連の研究をしたことのある方であれば、必ず目にすることのある名前。それがGibson.J.J。彼は生涯に渡り視知覚の研究に携わったアメリカ人です。
アフォード(afford)とは、「~ができる、~を与える」といった意味があります。
そして、アフォーダンス(affordance)とGibson.J.Jは発展させた造語を唱えました。
アフォーダンスとは、環境が動物に提供する「価値」のことである。
~中略~
それは、環境の中に実在する、知覚者にとって価値のある情報である。
(佐々木正人,アフォーダンスー新しい認知の理論,1994より引用)
皆さんはすでに読まれたであろうか…我がブログの過去のアフォーダンス記事を。
私はかつてこれほど、秀逸なブログを見たことがない。…と、思う。
きっとないはずだ。これは、ごん氏による適切な言葉を用いた表現、絶妙な写真の選択といった奇跡の連続が生んだ産物。奇跡のお笑いブログといっても過言ではないだろう。いや、ハードル上げ過ぎたかw
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何度見返しても笑らってしまうwww
先ほど、引用した書籍の中に興味深い一文がありましたので紹介します。
一本の橋があるとする。その橋は体重100キログラムの知覚者には「渡れない」と、50キログラムの者には「渡れる」と知覚されたとする。この場合、アフォーダンス理論では、100キログラムの者に「渡れない」ことをアフォードした情報も、50キログラムの者に「渡れる」ことをアフォードした情報も、ともに橋という環境に実在すると考える。では、二つのアフォーダンスが知覚者の主観にではなく、橋に実在することをどのようにすれば実証できるか。
1つの方法がある。100キログラムの者に50キログラムに体重を落とせと命令するのは酷なので、50キログラムの者に50キログラムの重りをつけることにする。もちろん、重りをつけた途端に、それまで「渡れる」と見えていた橋が「渡れない」と見えはじめるわけではない。おそらく「疑似体重」が100キログラムになった者が、橋にあるアフォーダンスを知覚できるようになるまでには、かなりの時間をかけた、その体重での環境との交渉の経験が必要である。
(佐々木正人,アフォーダンスー新しい認知の理論,1994より引用)
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何が言いたいのかというと、僕は過去最大の体重を誇っている。そしてそれを知覚するためには、もうしばらく経験が必要になるということだw